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   <title>いってみたいなアルメニア</title>
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   <subtitle>アルメニアは世界でもかなり歴史の古い国で、美人がとっても多いみたいです。</subtitle>
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   <title>サッカーの変遷　2</title>
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   <published>2012-05-18T02:37:53Z</published>
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   <summary>イギリスの経営者の態度が変わり、労働者階級に一定の自由時間を与えるようになりまし...</summary>
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      イギリスの経営者の態度が変わり、労働者階級に一定の自由時間を与えるようになりました。


土曜日の午後が休みとなり、彼らの生活条件が改善された。


・・・その結果、労働者たちのサッカーも発展します。


しかし、彼らは限定された場所と特定の時間、つまり土曜日の午後しかサッカーに興じることができませんでした。


それでも、観衆の数は多かったようです。


この種のゲームは、いったいに競技者同士の結びつきないし協力や分業を必要とするものですが、観衆も自分たちのチームと一体化しました。


さらに、地域的レベルから地方的レベルへと発展していた試合は、19世紀中に全国的レベルで行なわれるようになりました。


交通手段の発達がそれを可能にしました。


サッカー組織に関するより明確な規則が作成されたのも、競技場の拡大に不可欠な要素となりました。


      
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   <title>サッカーの変遷</title>
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   <published>2012-04-10T02:37:14Z</published>
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      イギリスの場合、つねに民衆のものであったゲームは、また上流階級の実践するところともなりました。


1820年まで、サッカーは即興性と暴力とを全面に押し出しつつ、観衆のいない民衆的ゲームにとどまっていました。


それは公共の秩序にとって脅威となるため、しばしば条例で禁止されもしました。


しかも、サッカー試合は特定の場所でのみ、つまり、移動し、社会的空間を縦断して行なわれたため、これを統制することは、不可能でないまでも、難しかったのです。


1820年から、サッカーは同国のエリートたち、とくに「パブリック・スクール」の生徒やオックスフォード、ケンブリッジの学生たちの体系化された実践になりましたが・・・


競技者がパスをしたり、チーム・プレーをしたりせずに得点しようとする限りにおいて、それはむしろ個人的なスポーツといえました。


工業化と、その結果としての都市化は、労働者階級となった民衆階層に対するより確実な統制を可能にしました。


こうして民衆階層のための自由な時間と自由な空間は減り、やがてサッカーは、特権的な場に・・・


つまり治外法権的なパブリック・スクールという場に生き延びることになります。


しかし、1880年年頃から、サッカーは労働者たちのもとに戻ってきます。


      
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   <title>近代スポーツの誕生と発達</title>
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   <published>2012-03-10T03:36:03Z</published>
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      イギリスで生まれた近武スポーツは、やがてフランスを初めとするヨーロッパ各地に普及します。


測定や数量化、正確さなどへの関心と結びついた工業発達と経験物理学の進規・・・


これらは、なぜこうした展開がみられるようになったかを能弁に語っています。


ヴィクトリア朝時代のイギリス文化は、まさにその役割を果たしたのです。


この時代は、いくつかの現象によって特徴づけられます。


社会の民主化、生活条件の改善、交通手段の発達といった現象がそれです。


しかも、身体鍛練やこれらの変貌のレベルについていえば、支配階級が民衆の実践活動を我が物とし、さまざまなクラブが設立され、スポーツ競技が地域的レベルから地方的・・・


さらに国家的レベルへと展開していきました。


      
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   <title>世銀勧告と漸進主義　2</title>
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   <published>2012-02-19T06:10:29Z</published>
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   <summary>3つの要因の組合せが、安定的で高い成長をもたらしました。 政府による社会資本の充...</summary>
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      3つの要因の組合せが、安定的で高い成長をもたらしました。


政府による社会資本の充実と、農業の多様化および外国資本を中心とする工業化の進展という組合せでした。


その結果が、戦後から現在までを平均すれば年成長率は7%を越えるという高い成長であり・・・


80年代の先進国の成長率鈍化を考えれば、日本以上の成長となっています。


米の輸出叢第二姿界大戦以前堤タイは米と趨それにわずかの†クを輸出するだとしての成長けでした。


しかし戦後農業は著しく多様化し、輸出構造も大きく変わってきました。


最近はそうした動きがさらに農産工業の成立発展という新しい形態へ変化しはじめています。


それだけでなく、ドル高修正局面の中で日本や台湾などからの投資が激増し・工業化への大きな歩みがみられます。


タイが米の生産を大きく増大させはじめたのは、外国市場が開けたからです。


      
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   <title>世銀勧告と漸進主義</title>
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   <published>2012-01-12T06:09:59Z</published>
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      50年代には上からの工業化を狙い、国営・公営企業を数多く設立しました。


民間の経済活動を自由にすることは、一部華僑の地位を高めるだけである、とする考え方があったからです。


しかし、ほとんどの国・公営企業は軍人や高級公務員の天下りポストの提供の場でしかなく、非効率な経営に対する財政資金の投下でした。


こうした実状に対し、世銀は、政府はインフラストラクチャーの充実に力を注ぐべきであり、民間企業の活動分野に参入すべきでない、と提言しました。


世銀の提言は、財政を均衡的に運営しようとしていたタイ政府にとっては受け入れやすい考え方でした。


貴重な財政資金で工業化を図るための投資をする必要がなくなるし、社会資本の充実は外国からの経済協力資金でまかなうこともできます。


自由な活動こそタイの人々の望むところではないでしょうか。


タイ政府はそれまで躊躇していた外国からの投資を自由化し、土地所有や利益送金を認めるなど、大きな政策変更を行いました。


      
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   <title>タイ経済発展の条件　2</title>
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   <published>2011-12-05T06:09:26Z</published>
   <updated>2011-12-05T21:10:07Z</updated>
   
   <summary>王室はタイ国民にとって精神的な求心力になっています。 政治的争いも階級闘争ではな...</summary>
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      王室はタイ国民にとって精神的な求心力になっています。


政治的争いも階級闘争ではなく、政変的なものでしかなかったのも王室という存在があったからです。


さまざまな「革命」はありましたが、総じて政治は安定していました。


・・・こうしたなかで、タイは伝統的な漸進主義的政策をとり、緩やかながら、着実な歩みを続けたのです。


飛躍はなかったかも知れません。


しかし、失敗の少ない道を選んだことが成功につながったのです。


忘れられてならないのは、1960年に世界銀行の勧告が出されたことです。


勧告のポイントは、政府と民間の経済活動分野の区別でした。


      
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   <title>タイ経済発展の条件</title>
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   <published>2011-11-12T06:08:32Z</published>
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      タイが1932年に立憲君主国となっていたことは、戦後政治の混乱を防いでいます。


・・・つまり、戦争による経済的、社会的戦禍も、国民同士が相争うことによる精神的戦禍もなかったのです。


そして、成長を求めながらも、農業国としての地位を失わなかったことです。


戦前、ビルマはアジアの食糧基地といわれていました。


しかし、ビルマ的社会主義を唱え鎖国的政策をとったそして、いつの間にか食糧基地たる地位を失ってしまいました。


また、工業化を急ぐあまりに、近代的プロジェクトの遂行を試みて失敗した国も多かったのです。


これに対し、タイは戦後の一時期を除き輸出にも十分な食糧生産を行ってきました。


農業は外貨を稼いだだけでなく、労賃コストの安定化を通じて工業化に大きな貢献を果たしたのです。


王室を中心にする政治的安定も重要です。


      
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   <title>ミーティングの運営のしかた　4</title>
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   <published>2011-10-23T07:40:43Z</published>
   <updated>2011-10-25T20:10:11Z</updated>
   
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      たえず全員で進めるのではなく、同じことを、一人ひとり「個」でやり、あるいはチームを分割して小人数でやり、その後にその結果を持ち寄って全員でやるというように、積層材のように、それを何回も重ねていくことです。


ただし、チームとしての最終の結論は、「全」が絶対条件です。


これによって、主体性や参加意識のなかった人にも、「個」が確立していくことは間違いありません。


全員が集まったら、最初から誰かが話し出すのではなく、まず全員が一人ひとり「個」で、話すべき内容の要点を模造紙に書(描)いてみます。


大ざっぱでよいでしょう。


疑問や不明な点も、無理にでも探して附記しておくとよいでしょう。


それを貼り出して、それぞれがそれに基づいて話します。


話す内容には、聞く側からすれば不明、不十分な点がいくらでもあるはずです。


他のメンバーは、どんどん質問をします。


      
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   <title>ミーティングの運営のしかた　3</title>
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   <published>2011-09-11T07:40:05Z</published>
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   <summary>書くよりも描くほうがよいでしょう。 描くよりも現場、現物そのものがよいでしょう。...</summary>
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      書くよりも描くほうがよいでしょう。


描くよりも現場、現物そのものがよいでしょう。


現場、現物とは、対象に関することならばそれに近づくことであり、対応ならば、実際にやってみることです。


「百聞一見に如かず」だし、&quot;百考一動に如かず&quot;です。


表現手段のすべてを総動員して、できる限り一目で見てわかるようにすることです。


描(書)れたものは、みんなに一目で見渡せるように、一カ所に並べて、見やすく貼り出します。


みんなが、それと対面しながら、ワイワイガヤガヤやれるように。


しかも、描(書)かれている個々の事がらが、上下、左右、斜めに、自由に移動できるようにしておきたいものです。


そのためには、描(書)く段階でこの配慮をしておくとよいでしょう。


これは著しく発想を刺激します。


KJ法の素晴らしさの一つもこれです。


      
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   <title>呪術師</title>
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   <published>2011-08-28T03:26:53Z</published>
   <updated>2011-09-09T20:10:39Z</updated>
   
   <summary>呪術師のエキセントリックな性格は、巨大な機構を動かすのに不向きであったので、しだ...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://estrata.info/">
      <![CDATA[呪術師のエキセントリックな性格は、巨大な機構を動かすのに不向きであったので、しだいに政治の表舞台から排除されるようになった。


天皇が神を祀る祭祀者としての性格は残しながらも、自らは呪術を行なうことはなくなり、官僚制度に組み込まれた呪術師に必要に応じて行なわしめるようになったのもこのためです。


しかし、理由はこればかりではない。


国家は呪術者の地位を下げる一方で、呪力の独占を図ったのです。


合理的な官僚制度が導入されたといっても、呪術に対する信仰や恐れが消えたわけではありませんでした。


話は変わって、占いについてなのですが、<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>的な所が結構流行っているらしいので、試してみたいですね～。]]>
      
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   <title>ミーティングの運営のしかた　2</title>
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   <published>2011-08-13T07:39:15Z</published>
   <updated>2011-09-09T20:10:46Z</updated>
   
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      それぞれの話の要点を、個々にメモするのではなく、全員のものとして、誰かがみんなの前で、できる限りそのまま書(描)き、それを残しておく。


・・・この価値は大きいのです。


口から出る言葉はどんどん消えていってしまうからであり、また発言者の参加度が高まるからです。


大きな紙に、大きく表します。


みんなに見えるように、大きく書(描)くのです。


大きいほどよいでしょう。


見やすいだけではありません。


もっと本質にかかわることです。


もちろん、みんなに訴える力も大きいもの。


用紙も大きいほどよいでしょう。


どんなに大きくてもよいでしょう。


小さい紙に表すと、書(描)いたものが紙いっぱいになって十分なものに見えてきますが、大きな紙に書(描)くと、隙き間ができて不十分な感じがしてきます。


つまり、紙の余白が刺激を与えてくれるのです。


      
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   <title>ミーティングの運営のしかた</title>
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   <published>2011-07-02T07:38:21Z</published>
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      事実に代わって概念がものを言っており、「個」の集まりであるはずの場が、その脱け殻の集まりの場と化してしまっていることを、先の現象は語っています。


こうなる理由はもちろん単純ではありません。


しかし、ミーティングの運営のしかたがそれを大きく左右していることは、組革研でまた毎月立証されているところです。


・・・以下に記するものは、文字通り全員が、事実を中心に据えて、本音をぶつけ合って、夢中になってワイワイガヤガヤとやっていく、そういうミーティングの運営についてです。


1．書(描)く


2．個全個全個全


3．違いを顕わに


4．評価、指摘



仮に、ミーティングする集団の大きさを十人と想定し、その集団の名をチーム、その構成員をメンバーと呼んでいきます。


      
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   <title>住民総ボランティア論への疑問　3</title>
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   <published>2011-06-15T05:57:47Z</published>
   <updated>2011-06-30T20:10:16Z</updated>
   
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      一身上の都合、家庭生活の変化、関心の変容などは不安定化の原因となるからです。


このようなボランティア個々人の条件変化を考慮しつつ、しかもボランティア活動の持続性を可能にするためには・・・


同様な活動の交代要員を準備し、応変の態勢をつくっておくこと、すなわちボランティア活動の組織化が必要です。


他方、ボランティア活動をある程度継続して要望する人も極めて特有な条件をもっています。


どういう内容の活動を、いつ、どの程度、どういう人に求めるニーズ(要望)が、どこに、どのくらいあるのか・・・


そうした具体的な要望に応えられるボランティアは、いつ、何時間、どこでなら何人準備できるのかを、たえず発見・開発し、この両者を的確に結びつける必要があります。


ボランティア活動を志ざす人びとがいても、ニーズが顕在化し、具体的な活動の場がみつからなければ、ボランティアの意欲は空転するほかないでしょう。


また、逆にボランティア活動への要望が多様に存しても、それに応じうるボランティアの確保ができなかったり、あるいはボランティア活動が不安定なものであれば、ニーズ側は失望し要望の表明を抑制してしまうかもしれません。


・・・したがって、ボランティア活動の展開にはボランティアとニーズを有機的に結びつけるなんらかの組織的な工夫が不可欠なのです。


      
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   <title>住民総ボランティア論への疑問　2</title>
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   <published>2011-05-28T05:55:51Z</published>
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      「住民総ボランティア化」のかけ声は、もしそれが住民のすべてがボランティアになるべきであるという義務や統制の意図を含むとすれば・・・


それはボランティア活動本来の趣旨にそぐわないといわざるをえないでしょう。


ボランティア活動への参加をよびかけても応じない無関心の人、ボランティア活動など性に合わぬと嫌がる人、ボランティア活動は偽善だと批判する人・・・


また、ボランティア活動よりパートにでも出て稼ぎたいという人がいても、そのことゆえに、そうした人びとは社会的に非難されるべきであると考えるならば、それはボランティア精神とは無縁です。


少数者の活動であることが当たり前と考え、自分で、自分たちで、おおらかに、のびやかに、無理なく、志をつらぬきつづけること・そこにこそボランティア活動の真骨頂があるといえるでしょう。


さて、ボランティア活動がボランティアの自由意志とボランティア活動を求める相手側の了解とによってはじめて可能になるということは、2つの点で、この活動の困難さを示唆しています。


もしもボランティア活動が、例えば個人が街角や車中で行う「小さな親切」のような偶然で単発の1回かぎりの行為ではなく・・・


相手方にとっては、ある持続性を期待できる活動であるとすれば、ボランティア個々人のもつ特有な条件は、つねにボランティア活動を不安定なものにするのです。



      
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   <title>住民総ボランティア論への疑問</title>
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   <published>2011-04-28T05:54:56Z</published>
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      ボランティア活動は、現在のところ地域社会では相対的に極めて少数者の運動であり、これからも、多数者の運動にはならないかもしれません。


ボランティア活動が喜びをもって共に重荷を担おうとする自発性を原則にした活動であるかぎり、地域住民のほとんどがボランティア活動に参加することなどありえないし、またそう期待すべくもないでしょう。


地域的に結びつきの弛緩を連帯活動としてのボランティア活動で修復し、行政への依存心を深めた住民に対してボランティア活動の自前主義を強調しようとするあまり、「住民総ボランティア化」の主張に短絡することは・・・


実はボランティア活動の誤解であるといって過言ではないでしょう。


重荷を背負っている人びとと、そうした人びとに支援の力をかしたいと思う人びととの触れ合いと共感、理解と思いやりは、かつてしばしばみられた全戸包括主義の町内会による寄付金集めのような事実としての社会的強制からは決して生まれないと考えるからです。


やさしさや配慮が希薄化する現代地域世相への慨嘆は、しばしば「和合」とか「隣保共同」の伝統的な醇風美俗観への回帰と連動しやすいのです。


「住民総ボランティア化」のスローガンは、主張者の意図とは別に、そうした「道徳主義」の再生をうながし、また新しく活動しようとするボランティアの個性的な内発的動機、信念、気概を型にはまった行動へ水路づける根拠に利用されやすいのです。


      
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